2019年11月号 Vol.34 雅子皇后陛下の輝き

これがラリックの後半生を決定づけ た出会いとなりました。優美なデザ インの瓶に香水を詰めて販売すると いうのは、当時においては斬新な試 みでした。王侯貴族の独占物だった 香水を20世紀、市民社会の女性たち に提供し、圧倒的な支持を受けまし た。19世紀末から20世紀初頭にかけ ては人工香料の黎明期であり、香水 は量産化が進み一般に普及し始めた 時代で、ラリックの試みは現代のブ ランド戦略やプロダクト・デザイン を先取りした、まさに革新的なもの でした。ラリックは香水という工業 製品のために、ガラスで自分の作品 を創るという、いわば、美術工芸界 と産業界のコラボレーションという ものにデザインの未来を見いだしま す。同じく、1909年ラリックはパリ 東方のコンブ=ラ=ヴィルにあった ガラス工場を借り(のちに購入)、本 格的にガラス工芸品の生産を始め、 1912年にヴァンドーム広場の店でガ ラスだけの展示会を開くに至りまし た。代表的な技法であるオパルセン トガラスをはじめとして、さまざま な新しいテクニックを開発していっ たラリックは香水瓶や蓋物(boîte) に始まり、ラリックの代名詞ともい える花瓶(vase)や彫刻(statue)の 数々を世に送り出し、アール・デコ の時代精神を体現したカーマスコッ ト(bouchon de radiateur)、そして 建築や生活空間と調和した照明 (lumiere)や生活雑貨の数々へと、そ のガラス作品のバリエーションを広 げていきました。 ラリックの作品は、いずれも金型 を使用して量産することを前提に制 作されましたが、これは質の低下を 招くどころかむしろ繊細で柔らかな 仕上げとなり、一点一点のクオリテ ィの均一化が図られました。工芸的・ 商業的視点の両者が合致するという デザイン史上でも類い稀なガラス作 品でした。 1918年にはアルザス地方のヴィン ゲン=シュル=モデールに新たな工 場の建設を始め、1922年(1921年と も)年に完成しました。金細工師・宝 飾デザイナー時代から、ガラスをパ ーツに用いていましたが、ガラス工 芸家に転進したのは、50歳を過ぎて からのことでした。1920年代か1930 年代のラリックは、「パリ号」「イル= ド=フランス号」など大西洋横断航 路の豪華客船や豪華列車「コート・ ダジュール号」(後にオリエント急行 の路線で活躍)の客車などのインテ リア(ダイニングルームなどのガラ ス天井、装飾パネル)を担当しました。 また、レストラン、ホテル、邸宅など の装飾、ステンドグラス、噴水など、 さまざまな分野に活躍の場を広げて いきます。1925年のパリで開催され た 現代装飾美術・産業美術国際博覧 会(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)で、ラリックはパリ市の 依頼によって、中央広場に高さ15メ ートルのガラス製の噴水を制作しま す。これが大きな話題となり、ラリ ックは新たな潮流を代表するガラス 工芸家としての評価を確立します。 この新様式は博覧会の略称にちなみ 「アール・デコ」または「1925年様式」 と呼ばれ、ラリックを筆頭として、 工芸から建築、絵画、ファッション など芸術全体に波及、ヨーロッパを 席巻する一大ムーブメントへと発展 します。 カーマスコット(自動車のボンネ ット先端に付けた装飾)作品も多数 あります。ラリックのガラス工芸品 には、動物、女性像、花などアール・ ヌーヴォー時代に好まれたモチーフ が多く見られます。 素材としては乳白色で半透明のオパ ルセントガラスを好んで用いていま した。これは、光の当たり方によっ 箱根ラリック美術館 彫像「ルネ・ラリックの肖像」1910年頃 テオドール・リヴィエール作 ラリックが内装を手がけた豪華列車の車内 ラリックが美的なオブジェととらえた花器が並ぶ P●INT DE VUE JAPON P●INT DE VUE JAPON 66 67

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