2032年3月号 Vol.69 イギリス王室の複雑な人間模様の行方?!

ダイアナ元妃の、パリの交通事故の惨劇、ダイアナ妃を救 命隊員が抱きお越し車外に連れだそうとすると、ダイアナ元妃は、 《ほっといて触らないで》と重傷にも関わらず、気丈に隊員に 告げたと報告されています。 歴史には仮はないものですが、あの不運な交通事故さえ無か ったなら、イギリス王室の今は、どうなっていたでしょう?感慨 深いものがあります。元々あの事故の日には、ダイアナ元妃は、 子供達に約束したクリスマスプレゼントを、忙しくて、まだ手に 入っていなので、苛々なさっていたと言われています。明日の 誕生日には帰るからねと、パリの空港から2人の子供に電話した 後に、恋人のドーテが、どうしても帰国は明日にして欲しいと、 かってにはないほどせがんだと、後になって伝わっています。恋 人のドーテの執事の話しによると、あの事故のあった日、ドーテ がダイアナ元妃を迎えに行く前に、執事に《今日は、必ず此 処で夕食をとるから、用意する様に》と言われ、ドーテは、執 事に《今晩は、ダイアナにプロポーズする積もりだ》と話し、 昼間に届いた、ダイアナ元妃に贈るご自分が選んだ、大粒の ダイヤを、執事に見せながら話してくれたと証言している。 運命の残酷さ、何か一つがなかったら、当日の指輪が後1日 出来上がりが遅かったら、子供の誕生日会が、後1日早いか遅 かったら?と、無責任に他愛ないことを考えてしまいます。 ダイアナ元妃、仮にご存命であられたら、当年61歳、可愛 いかった2人の兄弟も、立派な王族、申し分ないご家庭があっ ただろうにと悔やまれてなりません! イギリス王室の複雑な人間模様の起因は、やはりダイアナ 元妃の、あの痛々しい交通事故の惨劇から始まるのでした••• 想えば、ダイアナ元妃は、裕福で生粋のイギリス人の両親 に生まれ、貴族の出身、何不自由ない幼児時代を過ごしてい ます。それが学校に上がる頃両親の仲は険悪になり、父は殆 ど家にいたことがなく、母も社交的で家を留守にし、既に完全 な家庭崩壊した最悪の家庭環境でありました。 しかもある時、母は良く家に遊びに来ていた知人の男性とパ リに、弟とダイアナを残し駆け落ちしてしまいます。ダイアナ元 妃は裕福なのに両親が家にいない家庭であって、ダイアナは、 幼いながら母代わりに弟の面倒を見ていたと話しています。 ダイアナは、両親が居ないので、全寮制の学校に18歳迄預 けられ、卒業すると幼稚園の先生になり、勤め始めた頃に、姉 を訪ねてきたチャールズ皇太子に出会うのです。 左からチャールズ皇太子、ハリー王子、スペンサー伯爵(ダイアナ妃の弟)、ウイリアム王子、エディンバラ公。1997年9月6日。ウェストミンスタ ー寺院に運ばれるダイアナ妃の棺を見守る。ダイアナ妃は8月31日パリで自動車事故で亡くなっています。 9月6日、ウェストミンスター寺院で行われたダイアナ妃の葬儀で。悲しみにくれるチャールズ皇太子、ハリー王子、ウイリアム王子。 愛し方が違った不運なお二人 19 18 ウィリアム、ヘン リー ごめんね…

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