2017年5月号 Vol.22 Diana 永遠のダイアナ

別居生活始まる… 決定的な別居は。1992年12月9日に別居が発 表されました。ダイアナ妃は、ケンジントンか ら皇太子の私物は運び出し、ハイグローヴ邸か らは、ダイアナ妃の私物が引き取られいる。別 居してからは、2週間に1回の週末の息子達と 過ごす、親子水入らずのケンジントン宮殿のひ と時が、唯一の幸福な時間になっていた。 ダイアナはケンジントン宮殿に子供たちと住 み、チャールズはロンドンから車で約2時間離 れたグロスター州の別邸ハイグローブに、事実 上別居生活を送っていた。 そして必要がある時だけ、皇太子夫妻の事務 所があるセント・ジェームス宮殿に出入りして いた。 ダイアナはロンドンの都会の生活を楽しみ、 独自に雇ったスタッフをかかえ慈善事業に力を いれていた。 エイズの子供を抱き、麻薬常用者のセンター に赴き彼らに触れ、ホスピスで死を間近にした 病人の手を取った。こんな時、時間が許せばウ ィリアムやヘンリーも同行させ、社会的に弱い 立場の人々との接点を持たせようとした。 ダイアナ妃との団欒と言えば、まずこういう 社会的な活動にいつも同行し、帰宅するとその 事について話し合ったということだろう。 こういうダイアナの姿は必ず大衆誌の紙面を 大きく飾った。 ダイアナが表紙を飾ると、売り上げも20%は 伸びるということで、どこの新聞社や雑誌社も こぞってダイアナの行動を記事にするようにな った。 頻繁に紙面に登場することで、国民からの人 気はうなぎ上りになり、ダイアナもこの人気を 利用しようとした。 バッキンガム宮殿から王族としての公的行事 に出席するように要請されても、拒否し、自分 が選んだ慈善活動だけに力を入れた。エイズ防 止や地雷撤去活動支援など最も力を入れた。そ の際、常にカメラマンの前で行動することで、 慈善活動のマスコット的存在となった。そして それが巨大な宣伝効果を生んだ。彼女が登場す るだけで慈善活動に募金が集まり、人々はその 活動に注目した。こうしてダイアナは世界的な スターになっていった。 この頃は父親不在ではあってもウィリアムは 弟ヘンリーと母ダイアナと、肩を寄せ合うよう に生活をしていた。 どこに行っても注目の的となり、カメラマン が私生活をも追いかけて来たので、ウィリアム やヘンリー王子たちも幼少時代から、ダイアナ と一緒に紙面を飾っていった。 世間を味方につけたダイアナは、夫の不義を 暴く「ダイアナ妃の真実」の準備を着々と進め ていた。 ウィリアムもヘンリーも母ダイアナといた方 がずっと長かったので、チャールズのことを自 分の包容力のある父親というよりは、母を苦し める冷酷な人物…そんな印象を強く持っていた。 P●INT DE VUE JAPON P●INT DE VUE JAPON 72 73 Diana 永遠のダイアナ

RkJQdWJsaXNoZXIy NDY3NTA=