別居生活始まる… 決定的な別居は。1992年12月9日に別居が発 表されました。ダイアナ妃は、ケンジントンか ら皇太子の私物は運び出し、ハイグローヴ邸か らは、ダイアナ妃の私物が引き取られいる。別 居してからは、2週間に1回の週末の息子達と 過ごす、親子水入らずのケンジントン宮殿のひ と時が、唯一の幸福な時間になっていた。 ダイアナはケンジントン宮殿に子供たちと住 み、チャールズはロンドンから車で約2時間離 れたグロスター州の別邸ハイグローブに、事実 上別居生活を送っていた。 そして必要がある時だけ、皇太子夫妻の事務 所があるセント・ジェームス宮殿に出入りして いた。 ダイアナはロンドンの都会の生活を楽しみ、 独自に雇ったスタッフをかかえ慈善事業に力を いれていた。 エイズの子供を抱き、麻薬常用者のセンター に赴き彼らに触れ、ホスピスで死を間近にした 病人の手を取った。こんな時、時間が許せばウ ィリアムやヘンリーも同行させ、社会的に弱い 立場の人々との接点を持たせようとした。 ダイアナ妃との団欒と言えば、まずこういう 社会的な活動にいつも同行し、帰宅するとその 事について話し合ったということだろう。 こういうダイアナの姿は必ず大衆誌の紙面を 大きく飾った。 ダイアナが表紙を飾ると、売り上げも20%は 伸びるということで、どこの新聞社や雑誌社も こぞってダイアナの行動を記事にするようにな った。 頻繁に紙面に登場することで、国民からの人 気はうなぎ上りになり、ダイアナもこの人気を 利用しようとした。 バッキンガム宮殿から王族としての公的行事 に出席するように要請されても、拒否し、自分 が選んだ慈善活動だけに力を入れた。エイズ防 止や地雷撤去活動支援など最も力を入れた。そ の際、常にカメラマンの前で行動することで、 慈善活動のマスコット的存在となった。そして それが巨大な宣伝効果を生んだ。彼女が登場す るだけで慈善活動に募金が集まり、人々はその 活動に注目した。こうしてダイアナは世界的な スターになっていった。 この頃は父親不在ではあってもウィリアムは 弟ヘンリーと母ダイアナと、肩を寄せ合うよう に生活をしていた。 どこに行っても注目の的となり、カメラマン が私生活をも追いかけて来たので、ウィリアム やヘンリー王子たちも幼少時代から、ダイアナ と一緒に紙面を飾っていった。 世間を味方につけたダイアナは、夫の不義を 暴く「ダイアナ妃の真実」の準備を着々と進め ていた。 ウィリアムもヘンリーも母ダイアナといた方 がずっと長かったので、チャールズのことを自 分の包容力のある父親というよりは、母を苦し める冷酷な人物…そんな印象を強く持っていた。 P●INT DE VUE JAPON P●INT DE VUE JAPON 72 73 Diana 永遠のダイアナ
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