2017年5月号 Vol.22 Diana 永遠のダイアナ

Paris、1997年8月31日。イギリス時間午前4時21分、元イ ギリス皇太子妃ダイアナのパリ、アルマ橋トンネル入口での交 通事故は、深夜パリの通信社プレス•アソシェーションにより、 パリの契約媒体各社に第一報が飛び込み、イギリスのBBC、ア メリカのCNNをはじめ、世界中のマスコミは、即時に特番を組 む準備に追われ、ニュース媒体各社の現場は、突然、蜂の巣を 突くような大混乱になり一斉に取材合戦が始まりました。日本 の大手マスコミ各社も例外ではなく、ダイアナ妃の事故死を伝 える緊急号外を発行し、日本時間の日曜日の午後には、日本中 がダイアナ妃の突然の事故死のニュースに、叩き起こされ、テ レビの前に釘付けになっていました。単なる不運な交通事故な のか、それとも何者かにより謀殺されたのか、謎めいた不安な、 気の重い雰囲気が日本中に拡散されていきました…。 世界中の報道機関は、ダイアナ妃の事故が、ダイアナ妃を執 拗に追っ掛けまわすパパラッチの、過剰な取材行為が引き起こ した交通事故だとする報道が目立ち、現実に、現場でフランス 警察によるパパラッチのカメラマン7人が、逮捕されたと伝え られると、殆どのニュースは、ダイアナ妃の交通事故での死亡 が、パパラッチのせいとする論調が主流になっていきました。 それから暫くして、当局のパパラッチへの捜査の途中で、運転 手アンリ・ポールの血液採取の結果、大量のアルコールが検出 されたと、フランス警察が記者会見で報道すると、事故原因が パパラッチ説から、運転手ポールの大量飲酒運転の暴走が原因 へと変わっていき、ダイアナ元妃の不慮の死が、世界中の同情 と哀悼の涙を誘い、その悲しみが、あの大葬儀のクライマック スを迎えるまで続いていきました。 一方、熾烈な報道機関独自の取材合戦の過程で、実は、多く の謎が噴出し、〈ダイアナミステリー〉の闇は深く、得体の知 れない、不気味な姿を露呈していきます。 それはダイアナ妃の当時置かれいた状況が、単なる運転手ア ンリ・ポールの飲酒運転による暴走と、簡単に片付けられない 怪しさが、誰にも見てとれたからで、運転手ポールの飲酒説は、 ドディの父親モハメドの依頼した、当時ニュージーランドの法 医学の権威ジム・スプロット博士等により、アルコール飲酒説 を否定しました。 他にも事実に反する証言が多数の証人により明らかになり、 中にはポールの死後、大量のアルコールを死体に注入されたの ではとの反論がでる始末で、最終的には運転手ポールのアルコ ール大量飲酒説は、事故で即死したドディの父親が依頼した専 門医の血液再採取検査に迄いきつき、大量飲酒説が唯一の事故 原因とするフランス当局の発表はあやふやになってしまいま す。次に疑われたのが、パパラッチに紛れて運転手に投射した、 強力なフラッシュにより、運転事故を誘発させる謀殺説が俄か に浮上し、事故現場に白いイタリア車ウーノの介在した疑いが 指摘されました。その車の塗料が、ダイアナの乗っていたベン ツC600の後ろバンパーに残っていたことが検出され、当時パ Princess Diana 深まる事故の謎! 例え車の往来の少ない深夜の出来事と は言え、事故の瞬間を目撃した人は、 一人も居なかったこと 事故の時の写真は 全てフランス警察にもっていかれ、 今まで一枚も公表されたり、 撮影者に返還されていない 事故による車の破損状況が、 トンネルの追突した柱、 壁面の破損の状況とは、 余りにも違い過ぎる ドディ • アルファイドの埋蔵が 非常に急いたことの 不自然さが言われている P●INT DE VUE JAPON 43 P●INT DE VUE JAPON 42

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