2017年5月号 Vol.22 Diana 永遠のダイアナ

パールビーズをふんだんに使用したドレス。全 身をオフホワイトで颯爽とプリーツを靡かせな がらウォーキングされる姿は、注目の的でした 永遠のプリンセスDiana 1997年8月31日、貴女は、突然私たちの前から 姿を隠されました。同時に世界中の人々が深い悲 しみに沈みました。遡り、1981年の魅惑的なマリ ヤージュに、人々がテレビ画面に釘付けになって いました。迸る透明感と19歳の愛らしさに、誰も が一目で貴方のファンになりました。世紀の結婚 式と語り継がれ、英国王室の偉大さを人々は賞賛 しました。誰もが、可憐な英国皇太子妃の誕生に 歓声を上げ、婚礼の際のウエディングドレスは、 英国シルクに1万個の真珠、制作に100日をかけ た事、その絢爛豪華さは、今も私の記憶に深く刻 まれています。気品のあるヴェールの長さは、史 上最高の7.6メートルもあり、テレビ画面で見届け るには、気が遠くなる長さに感じました。正にお とぎ話の夢の中。当時のヘアースタイルにダイア ナカットが一世を風 ふう 靡 び し、世の女性の憧れの的と なりました。彼女のファションをコメントさせて 頂きながら、私は少なからず彼女の心の動きを感 じとっています…ダイアナ元皇太子妃、貴方は、 何と数奇な人生を過ごされたのでしょう。イギリ ス貴族の家系に生をなし、プリンス・オブ・ウエ ールズに嫁がれた19歳の淑女は、80年代、90年代 と別人のように長年の嗜好、ファションが変化し てゆきます。私は、3つのファション変化を彼女 から感じ取りました。婚姻当初のファションは、 貴族の令嬢的な品格と清楚で気品に満ちた、いや 誰が見てもイギリス王室の古きヴェールをかぶっ た守りのファションにすぎませんでした。彼女自 身のセレクトでなく与えられたロイヤルファショ ンであったように思えます。そして、母となり次 なる変化を見せてゆきます。英国ファションに貢 献したいと、公的な場で伝統的な素材の生地で誂 えてゆき、デザイナーも英国デサイナーのものを 多くお召しになりました。 90年代近くになると彼女のファションセンスは より磨きがかかり、眩いばかりのオーラを放って ゆきます…近年、ファションにおいてのTPOが 無くなってきておりますが、私は、ファションの TPOを最もスマートにこなされたのがダイアナ 妃。国民から常に注目を集めるお立場と、伝統に 重んじたイギリス王侯貴族の狭間で、世の女性の ファションリーダーとなられたのです。 確か1985年〜 1992年の英国女性の世論調査で、 「最も似たい女性」にダイアナ妃が選ばれていま す。しかし、その輝きと華やかさの裏に「私を見て」 と訴える悲しさ、寂しさの悲鳴のようなものを感 じました。皇太子妃から一人の女性として、自由 な立場になられた時に新たな変化がみられます。 それ以来、海外のデザイナーの洋服を着るお姿 も数多くお見受けするようになります。それでも 彼女の人に優しく、思いやりをもって接していら れるお姿は変わりませんでした。愛について深い 悲しみを受け、愛を求め彷徨いながら必死で生き る姿に私達はどれだけ勇気づけられたことでしょ う。ある時からダイアナ妃は、帽子とグローブを 身に着けなくなります。「帽子をかぶっていたら 子供達を抱っこできないでしょ」「人々と握手し、 肌のふれあいを感じたいから」と、ダイアナ妃は 話しています。皇太子妃としての公務に欠かすこ とのないこの2つのアイテムを身に着けなくなっ たからです。慈善事業に貢献しボランティア活動 にも積極的でした。当時、胸を打たれたシーンに 花のモチーフのドレスで病院を頻繁に訪問してお られた姿があります。哀しみの中にあって人への 思いやり、心遣い、純粋さは決して変わることな く真 しん 摯 し に生きる彼女の強い意思は感動的でした。 ダイアナ妃は、バラを彷彿するローズの頬がとて も印象的な方でした。彼女の名前を冠したバラが あることは有名です。プリンセス・オブ・ヴェー ルズ(Diana, Princess of Wales)花言葉は、(温 かい人柄、溢れる気品)。 私達に多くの思い出を残してくれた、私達のプ リンセス。ダイアナ妃、安らかにお眠り下さい… ファションと言うフィルターを通して人の心の 襞、歩んできた人生が映し出されてゆきます。 その人のファションとは、不思議なものです… Mari Maeda 前田真利 P●INT DE VUE JAPON P●INT DE VUE JAPON 6 7 Diana 永遠のダイアナ

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