ダイアナ妃7歳の時の、両親の離婚と母親の 子供たちを置いての恋の逃避行は、子供心に大 きなショックと打撃えるに十分な出来事でした。 ファーモイ男爵の娘として教養も常識もある母 が、時々家に遊びに来ていた陽気で話術の上手 い男性、ピーター・シャンド・キッドに夢中に なり、ある日、母は子供たちを残しロンドンに 引っ越してしまいます。この時のダイアナ妃が 経験した悲惨な体験は、ダイアナ妃の子供心を 深く傷つけ、最愛の母に捨てられた喪失感と、 もう誰からも愛されていない孤独感や疎外感は、 彼女に一生付きまとう事になったに違いありま せん。 人から愛されることより、人を愛することに より、自分の心の安らぎや癒やされる安定感を 求めることに、後々の精力的なボランティア運 動の原点の、心のよりどころを垣間見る思いで あります。 更に、離婚による、両親の子供たちの親権の 揉めごとは子供心を不安にし、深く傷つけてし まい、9歳で躾の厳しいノーフォークのリドル ワース・ホール、その後当時評判のケント州の ウェスト・ヒースで6年間に及ぶ寄宿舎生活で も癒やされることはなく、16歳の学業が終わ るまで続きます。そして不運にも父が再婚した バーバラ・カートランドの娘レインとの間では、 もはやダイアナ妃は自分の居場所を失い、自失 呆然の少女時代を過ごします…。それでも健気 なダイアナは、姉妹をはげまし、母代わりにな ろうとします。当時の貴族家庭は、傍目には豪 華なお城住まい、絢爛たるサロン生活と羨まし い限りに見えますが、実は家庭破壊や財政破綻 に見舞われる見栄と虚飾に明け暮れる貴族も多 く、波瀾万丈の貴族生活が実態でありました。 ダイアナ妃の幼少時代は、そんな家柄だけの 家庭で、暖かみや愛のない生活でありました。 P●INT DE VUE JAPON P●INT DE VUE JAPON 34 35 Diana 永遠のダイアナ
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